ホームステイと永遠の仔
転生したら僕は僕だったという作品を観た。
よくまとまってちょっと考えさせられる出来栄えだったと思ったら原作は小説の「カラフル」だった。
そして、これって、最近読了した「永遠の仔」と同じテーマだったのねと一人ほくそ笑んでみる。
あの絶望するような長さの長編大文章を嬉々として読み始めたのは、その前に「悼む人」を読んでいたから。あの作者の超長編?もしかしあたらかなり深く沼るのかと、おおむね3か月かけて読んだ。読み終わったころには前半部は記憶にないので再度読んだ。の繰り返しだったりして。
そして、結論付けたのが許しを求める物語だったのかということ。
そして、ここから「悼む人」続いていくのかということ。
ジラフは一人になって巡礼を始めるのだ。人々に「生きていてもよいのだよ」と伝えるために。そして、全部僕が覚えているからと。
と、ま、「太陽の仔」に感じていたことなんだけど。
「カラフル」も生きていてもよいのだよ、を伝えるための作品だったのでしょうか。
偶然同じテーマを引き当てたんか、
ただ、今自分が生きるための答えが必要だから答えを求めたのか。
虐待された子供たちに必要なのは愛という言葉ではなく、生きていてもよいのだよと示す言葉であったり態度であったりするのだろう。
TVで里親制度を紹介していたが、
里親になじめない子供が大半だという。
彼ら彼女らはどこかで自分のことを不用品かもしれないと疑って、抵抗して苦しんでいるということだろう。
自立ということが分かるまで保護者は(肉親でなくても)生きることを教えていかねばならないのだろう。良い大学に行くではなく、良い会社に入るでもなく、誕生したからには、何をしても生きてることを許されているんだよということ。
世の中の大人と自覚している人はもっともっと子供の話を聞いてあげようじゃないか。