朽ちる果てる、とはどのような心境だろうか
世界がウイルスで狂乱しているような報道が連日続いているが、
本当だろうか。
日本だけではないのか、と疑問に思う。
TV台湾やイタリアではマスク統制がすでに始まっているとしたり顔で話す人がいる。
そんな空気の中、仕事がなくなった。
延期と中止と違うらしいが収入面からは同じことだ。
こうして朝から溜まった毒を吐き出さねばこのもやもやに押し潰されそうになる。
樹木は倒れると乾燥するか、水分を吸い込んで腐っていく。
乾燥すれば芝刈りのおじいさんにひらわれて生命を全うする。
腐ればその過程で虫や昆虫が住み着き住まいや養分となりその人生を全うする。
根っこがつながったまま、取り残された個体は朽ちる。
生命環境の循環から取り残され、アイコンとして存在していると思い込んでいたらいつの間にかお化け屋敷扱いされる始末だ。
マスクもなく、目的もなく、出歩けない。
インスタント珈琲ばかり飲み続け、
米はパンの耳に変わり、
切りつめても切りつめても不安のほうが大きくどこまでも追いかけてくる。
今日は何曜日だったっけ、
何度も繰り返し聞く。
そんなことどうでもよいのにそんなことしか人と会話できない。
そんなこと、どうでもよいことしか存在しない世界。
もしこのまま朽ちる世界に向かっていくなら、
もうなにもいらない。
物質は錯覚。
一つあれば十全。
すべてを忘れて一から始めればこんなに楽しい世界はないのではないだろうか。
朽ちる果てる世界とは未知の世界を楽しむ世界なんじゃないだろうか。
目標もノルマも対人ストレスもない世界。
ゼロからのスタート、楽しみだ。
今日からそのスタートラインに立ったわけだ。
よーいドーン。
幼くて十全。
下手で当たり前。
書けないことが楽しみなんだから。
そのうちに霞を食って生きてやるのだ。
という心境だろうか。