No Offence ~good after bud~

眠れない時間の妄想と思考、あくまでも個人的な1億分の1の個人的な破片です。。

いそっぷの思うつぼとスペシャルアクターズ

どちらも上田慎一郎監督作品。

ついでに見た作品を加えると「カメラを止めるな」

いや、どれもこれも面白かった。

最後のにどんでん返しの落ちが待ち受けるスティング作群。

最初、なにも考えずにスペシャル・・・を見たときに、タイトルデザインというか、

残隊のチープ差というか、画面の雰囲気みたいなものがカメトメに似てるなと感じた。

そして最後に待ち受けるドンデン。ここで確信しエンドロールを必死に探す我www

監督の名前を発見し、さらに、昔見たいそっぷ・・・を思い出す。

 

そうだ、どれもこれもみな夢落ちじゃん。

いや、夢ではなく、演技落ち。

はい、ラストはすべて演技でした、となるあれである。

「スティング」しかり、古今東西面白いくらいだまされる作品はみなあれである。

難しいのは同じ手口は使えないので切り口をどう変え、開拓していくかということ。

もっともっと斬新な演技落ち見せてくれ~

孤老の血 Level2

一言で表すと「東映往年のやくざ映画」だった。

だから、とっても怖い。

意味なく人が殺されていく。

主役の鈴木亮平の役柄のふり幅に驚かされた。

いま「東京MER」でヒーローのような先生を演じているかとおっもえば、

凶器のやくざ。彼の本質はどこにあるのだろう?

と、思ってしまうくらいどちらもはまっている。

勢い、前作の「孤老の血」をレンタルして見たが、

思いのほか、ぬるかった。

それは鈴木亮平のいない世界だったからだと思う。

残念ながらLevel2のラストでなくなってしまうのでLevel3での登場は望めないが、

ゾンビのように復活してほしい、と願う。

そして、西野七瀬。いい!

だらだよ、彼女に文句を言ってるやつ。

この作品を見やがれってんだ。

 

荻窪風土記

井伏鱒二荻窪風土記」なつタイトルのNHK特集が再放送されていた。

開高健も出演して話をしているというので見た。

お二方も古典作家のように感じていたが、

話している姿や内容を見ているといまでもそこで生きているようだ。

50歳代の開高健井伏鱒二

開高健は50となり書けなくなったという。

あんな大作家でも書けないんだってさ。

きれいになりすぎて意欲がわかない、と。

どうすればよいのかと齢85の井伏鱒二に問う。

「かけ」と一言。あいうえおでもよいから書きなさいと。

おしゃれできれいになって書けなくなった開高健と仙人のような井伏鱒二が面白かった。最近まで生存していた大作家。部屋の隅っこを探せば黒い雨の文庫があるかもしれない。ちょっと読んでみたいなと、青皿文庫を探してみたが、太宰関連のものしか引っかかってこなかった。面白いよな、この関係性。

NHKが庶民からお金を集めて成立しているなら、放送時間にかかわらず、もっと良質の映像記録を残しておくべきだし、放送してほしい。今を生きている人の考えや個性を残せ!それでこそNHK。きっとそうだ。

ひきこもり先生

NHKのドラマ枠は突然とんでもない問題作を、

なんの前触れもなくさらっと放映する。

見逃して泣きを見ることが時々ある。

「え、あのドラマ見なかったの?」と三段上から見下ろされる。

日頃の態度の裏返しとはいえ、グサッとくる。

そうなると、もう家から出られない。

気持ち悪い。

誰ともしゃべりたくない、話したいけど。

人目を避けたい。

大人たちの裏切りが、ご都合が、引きこもり沼への入り口かもしれない。

佐藤さんの演技は圧巻で、苦しさを表現すればきっとそうなのだろう。

集団教育は個人で学ぶより成果が出やすい、は、わかる。

出来る=頭の良い子が上位なら下位の子を軽んじてもよいのだろうか。価値はないのだろうか。多様性を認められない集団はまとめやすい。でもそれは独裁者の考え方だ。政治の世界でも行きつくところはおとなしい集団から税金を巻き上げて国力という力を蓄えて、国民を守る?

守るものは全員ではなく上級国民といわれる方々と一部の富裕層。

そのためには下位層は犠牲になってもよいのだろうか。

引きこもり先生の学校は集団教育の場とこぼれてしまった子供たちの学習の場を分けて用意している。フリー登校クラスだったか、個人個人が自分のペースで学ぶ。

そうすることで、少なくともできないから、スピードが遅いからといじめられることはなくなる。多様性の認知。支配者のご都合な目標からの脱出。

 

義務教育はブロイラじゃねーわ。

義務教育なんていらねーわ。

親が責任もって子育てすべきじゃね。

でも日中は無理なのでどこかで預かってもらえないだろうか。

あ、学校っていいね、程度でよいじゃん。

 

大人の汚い世界に子供たちを巻き込むな。

という視点を与えてくれたドラマでした。

まだ、最終回来てないけどwww

悼む人

以前からちょこっとひかかっていた作家さんがいた。

少し前から読みたかった本があった。

「悼む人」

死者を悼む、新手の職業かと、その場での出来事や日常なのかと想像していた。

仕事に纏わる場所での物語展開は好物なんですよ。

 

ところが、違った。

 

主人公静人はただ悼むだけ。

死者を忘れない、区別なく記憶していく人だった。

そしてその行為はかかわった人を変えていく。

 

かかわった人?

 

そう、読者も。

日常の死に恐れを抱くというとは、

誰からも忘れ去られてしまう、という恐怖ではなかろうか。

誰からも忘れ去られたい、から自尽を選択する。

思考回路は止めることはできないのだろうか。

自尽を選ぶ前に一瞬で良いから、

誰を愛したのか、

誰から愛されたか、

誰から感謝されたか、を思い出してほしい。

真っ黒な世界から光が届くかもしれない。

 

怒りや絶望に囚われてはいけない。

ではなく、

誰を愛したか、

誰から愛されたか、

誰から感謝されたかに囚われてみよう。

 

それだけで、生きることが楽になるかもしれない。

人はみな、ある瞬間は「悼む人」なんだから。

電気海月のインシデント

電気海月のインシデント

 

電気海月のインシデント (jellyfish-movie.jp)

 

予備知識なしにハッカーというだけで見る。

そして、まず思ったこと。

 

これ、学生の卒業制作かよ。

 

が、ストーリーは面白い。

予算もそこそこかかっている。

 

じゃ、この違和感は、なんだ。

手持ちライブ感あふれる映像。

 

ああ、音かも。

どのシーンどのシーン、シーン。

静かすぎる。

そこが妙にライブ感がある。

リアル感がある。

やや無理筋なお話もカバーしてくれるほど。

映画はもっときれいなシーンや驚くほど美しい風景の切り取り方を楽しみたい。

 

が、音を乗せると持ち味が消えてしまうような気がする。

なーんて、面白い作品。

 

このあと、「愚行録」や「脳男」を見た。

全シーン音が効果的に入っていた。知らなかったよ、気が付かなかったよ。

 

音って面白い。

あなたはなにもの

NHKのドキュメンタリーをなにげなく見ていたら、

コロナ過の中、環境が変わってしまった状態でデレクタの質問

「あなたは何者になりましたか?」

小学生の子ども、沈黙。

「なにものって、あなたはデレクタでカメラ構えている人はカメラマンって言うことですか?」と疑問を投げかけてくる。

デレクタ

「絶句・・・そ、そういうことです」とやっと答えるのがやっとの様子。

 

哲学を学んでいるのだそうだ。

普通の子どもなのに、とんでもないところにたどり着いてしまった。

「あなたはなにもの」

デレクタはいまだに答えにたどり着いていないといっていた。

 

「あなたはなにもの」

たいていの人は何処にも疑問を挟まず、職業を答える。

あなたは職業があなたを現すことのか。

あなたの人格は職業なのか。

 

「やいやい、手めーはいったいなにもなんだ?」

拙者か、ただの通りすがりの天下無敵の素浪人!は!

これは身分のことを言っている、のか。

ではあなたは。

「わしゃ、ただのサラリーマンです、かね」

あなた、サラリーマンになりたかったの?

んーんーんー違うなあ。

 

明智光秀という人物。

なにものになりたかったのだろう。

麒麟を捜し求めあいたかった人。

豊臣秀吉という人物。

ただただ武士の頂点になりあがりたかった人。

 

形、名目ではなくそこに意思のあることが必要なこと、なのだ。

社長になりたい社長では何者という問いに答えられない。

麒麟を連れてくるとか、

誰も見つけていない発見をするとか、

毎日笑って生きていくとか、

毎日人に感謝されて生きるとか、

自分が楽しい事の積み重ねが何者を形成していく。

解き放て、「あなたはなにもの」からののろいを。

あなたはあなたで、なにものでもない。

「あなたはなにもの」と聞いて来る相手こそが、のろいに取り付かれ自身を見失っているのだ。それがあなた自身ならあなたは自分自身を縛り付ける自分自身を解放してあげよう。

「あなたはなにもの」

「わたしはわたし」

それ以上でも以下でもない。

「わたしはわたし」

なにをやっても、どんな仕事でも、あれやこれやでも、

「わたしはわたし」

上から見下ろす人ほど忘れていく。

わたしから違うものになりたがるようで。

かわらないのにね。

馬脚をだしているよ。