No Offence ~good after bud~

眠れない時間の妄想と思考、あくまでも個人的な1億分の1の個人的な破片です。。

お札について考えてみた

これからお金が出ていく一方だと、

誰かが言った。

 

アルバイトと個人売買で少しは稼げるだろうが、

収入が激減する。

収入とはお金。

お金とはお札。

なのだろうか。

 

お札って、日本銀行券のことと規定すれば、銀行券なんだね。

一銀行が発行する紙切れを指す。

ただの銀行じゃないよ、お国の銀行だよというかもしれないが、

国ってなんだ。

民族の塊、昔っから同じところで生活していた共同体。

生活案安全共同体。

そこは紙切れで苦労して作ったコメが、野菜が手に入る。

何でも手に入る。

紙切れのために事件も起こる。

紙切れが欲しくてほしくてたまらない人は欲望が止まらない。

年収10億稼いで、それでもインチキしてまた稼いで、

つかまって、ペテンで逃げ出す。

紙きれ集めは楽しいのだろう。

おれが世界をあやつってやる、とか。

 

その紙切れだがなぜ価値があるのか。

高性能なPCが数万円

で簡単に手に入る。

たかが紙切れ数枚で疑問もなくなぜ手放せるのだろう。

手に入れた紙切れで違う商品が手に入る、と決まっているから。

いや、思い込んでいるから。

 

誰が。

お互いが。

お互いと、お互いの周囲の人々が。

円という紙切れ。

ドルという紙切れ。

バーツ問い紙切れ。

ルピーという紙切れ。

共同幻想帯でのみ通用しうる。

なかでもドルがとびぬけている、ように感じる。

なぜ。

世界が不安定になるとき、

その幻想は崩れる。

では、金を持っておけばよいのか。

金本位制なんてお札の時代もあった。

でも、金も幻想の上に、貴重な元素という幻想に成り立っている。

 

結局、お札とは経済の言葉なのかもしれない。

経済が円滑に回るためには共通言語が必要で、それが時の支配者が薦めるお札なのだろう。日本語か英語か。今は日本語で十分だけどそのうち英語が必要になるかもしれない。エスペラント語かもしれない。

 

だからお金を集めた人々は今の言語を変えたくない、のだ。

革命は言語を変えること。

明治維新で共通語が広まった。

あれは革命だったに違いない。

お札集めを楽しくないようにすれば世界貧富差は縮む。

 

貧富とお金が切り離せたら、どうなるのだろう。

戦闘力スカウタのような、

ヒューマンスカウタ。

ネット+電子デバイス+埋め込みなら実現する社会

 

なのかもしれない。

だれがその価値をスカウトするのか。

 

AIが答えで、

今そこにビックデータとか踊らされて向かっている。

ビックデータはそのうちに行動の格付けに利用されるに違いない。

各国の覇権争いはAI開発からAI同士の戦いとなり、

AIが人の欲望を乗り越えて、お札好きな人の意思を無視する。

そしてお札好きな人がAIを破壊する戦いが起こる。

守る人、浅はかに載せられる人。

ターミネータとは真逆に世界観もありうるってこと。

この先間違った選択をしなければよいけど。